上高地温泉ホテルの歴史
創業明治19年。
上高地温泉ホテルは上高地の歴史とともに歩んできました。
落ち着きのある和風ホテルで歴史を感じながら、
のんびりとお寛ぎください。
歴代の従業員集合写真
1935年(昭和10年)頃 | 1950年(昭和25年)頃 |
1965年(昭和40年)頃 | 1986年(昭和61年)頃 |
2013年(平成25年)頃 | 2020年(令和2年)頃 |
上高地の風景
昭和初期の上高地温泉ホテル | つり橋の初代・河童橋 |
ギャラリーのある宿
上高地温泉ホテルは日本を代表する幾多の文人墨客たちが、定宿にして多くの作品を世に送り出してきました。
ギャラリー「きそう」(1F)では、当館にゆかりのある作家達による展覧会が随時行われています。
また各階のいたるところにも作品や足跡を展示しています。
ギャラリー「きそう」 | 階段脇の展示風景 |
上高地温泉ホテルの沿革
1830年から1861年まで、上口湯屋として営業しておりましたが、この跡地に1887年、『上高地温泉場』として宿泊営業を開始。その後1894年に上高地温泉同盟として法人化され、1904年に『上高地温泉株式会社』の設立により本格的な営業を開始しました。さらに、1931年に現ホテル名になったものです。現在の建物は戦後に建設したものです。
文政13年 (1830年) |
岩岡村の庄屋・二代目伴次郎が、上高地の湯沢に「上口湯屋」を開設する。 |
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文久元年 (1861年) |
「上口湯屋」大暴風雨に遭い損壊。三代目伴次郎が復旧不能の為放棄する。 |
明治19年 (1886年) |
木曽大林区署に「上口湯屋」跡地の拝借願いを提出、許可下りる。(新村・田中耕夫等) |
明治20年 (1887年) |
「上高地温泉場」として宿泊営業を開始。木造平屋建てを建設する。 |
明治37年 (1904年) |
「上高地温泉株式会社」の創立総会を開き、株式会社化する。(初代社長 青柳尭冶郎) |
明治42年 (1909年) |
芥川龍之介、島木赤彦が宿泊する。 |
大正 2年 (1913年) |
ウェストン夫妻、高村光太郎・智恵子、窪田空穂が宿泊する。 |
大正 4年 (1915年) |
焼岳爆発。大正池出現する。 |
昭和 6年 (1931年) |
「株式会社上高地温泉ホテル」に名称を変更する。 |
昭和10年 (1935年) |
本館を建設する。 |
昭和13年 (1938年) |
安井曾太郎画伯は昭和13年と15年にかけて長期滞在し上高地シリーズの絵を描く。 |
昭和30年 (1955年) |
新館を建設する。 |
昭和38年 (1963年) |
本館を鉄筋コンクリート製にて建設する。(2階に展望風呂、バス付き客室を併設) |
昭和50年 (1975年) |
「株式会社上高地温泉ホテル」創業90年・会社設立70周年記念事業にて別館を建設する。 |
昭和56年 (1981年) |
「株式会社上高地温泉ホテル」創業95年・会社設立75周年記念事業にて新館を鉄筋コンクリート製に建て直す。 |
昭和58年 (1983年) |
第2号源泉を掘削(源泉温度72度)大浴場等館内に使用する。 |
昭和60年 (1985年) |
新館6部屋を増築する。 |
昭和62年 (1987年) |
創業以来の建物(梅館)を浴室棟に建替え、露天風呂を新設する。 |
平成 4年 (1992年) |
食堂・ロビー改築しギャラリー「きそう」を設ける。 |
平成16年 (2004年) |
「株式会社上高地温泉ホテル」会社設立100周年記念式典を行う。 |
平成20年 (2008年) |
第3号源泉を掘削(源泉温度45度)樽風呂に使用する。 |
平成21年 (2009年) |
売店前に足湯を設置する。 |
平成26年 (2014年) |
松本市波田に冬期事務所を移転する。 |
平成27年 (2015年) |
別館18部屋に自然エネルギーの冷暖房を導入する。 |
平成28年 (2016年) |
第4号源泉を掘削(源泉温度76度)大浴場等館内に使用する。 |
令和元年 (2019年) |
客室、パブリックスペースを禁煙化に伴い喫煙室を設置する。 |
当ホテルに滞在した文人墨客、登山家たち
芥川龍之介、 市川房枝、ウォルター・ウェストン、 臼井吉見、
尾崎一雄、加藤水城、 窪田空穂、 斎藤茂吉、 島木赤彦、 高見順、
高村光太郎、 寺田寅彦、 安井曾太郎、 若山牧水ほか
<昭和初期の頃>
右の二階建物にウォルター・ウエストン氏も宿泊されました
左奥の山は焼岳